深夜のコーヒー屋さん。もうこのお店を使うことには慣れていました。こうしたお店だからなのでしょうか。店員さんは、いつも変わっています。たぶん長くは勤めないものなのでしょう。それが私には好都合なのです。
 久しぶりにノーパンです。スカートも短いデニムです。普通に座っているだけでも、私のアソコは露出しています。足なんか拡げなくても太ももの間からヘアーが見えます。もちろん、最初は見えない工夫をして座ります。そうして、ゆっくりと店内の様子を見回すのです。
 ちょうど正面の席に学生ふうの男の子がいました。ショートの髪形にオレンジのTシャス。絵に描いたような爽やか青年です。二重のくっきりとした目が性格のよさを物語っています。こんな男の子のオチンチンって、どんな大きさなのかな、と、私はそんなことを考えます。
 この爽やかな雰囲気でオチンチンが黒くて大きかったら面白いなあって想像したりします。
 そして、今、私が足を拡げたら、この男の子はどんな顔をするんだろうって思うんです。あわてるのかな。こんなタイプの男の子だから、きっと、私がうっかりパンツを穿き忘れたって思うんだろうな、そんなことを想像しながら、私は足を拡げるかどうか迷っていました。
 ところが、その爽やかな男の子は私のほうを見て、にっこりと笑ったのです。笑顔がまた爽やかで、この人は「体操のお兄さん」っといった雰囲気でした。でも、笑いかけている相手は私以外に考えられません。他にいる人といえば、奥で読書する少し頭の薄くなったおじさんだけなんです。
 これは何、まさか私を誘っているとか。そんなことを考えて彼を見ると、なんと、出していたんです。テーブルの下、私の位置からは見えても、他の人には見えない場所で、しっかりと下半身を出していたのです。オチンチンどころか、太もものあたりの妙に白い肌がはっきりと見えます。パンツを下げてしまっているんです。すごい勇気です。ノーパンで足を拡げることさえビクビクしている私には考えられないことです。いくら深夜とはいえお店の中は明るいんです。もし、私が「痴漢」と、騒いだらどうするつもりなのでしょう。それとも、私でなくても女はそんなときに騒いだりはしないものなのでしょうか。
 彼はオチンチンを縦に動かします。まるで私にあいさつでもしているかのようです。大きくはありませんでした。彼の雰囲気を壊さない愛らしいオチンチンです。
 でも、そうなると私は露出するわけにはいかなくなります。そんなことをしたら、どんな誤解をされるか分からないからです。
 彼のテーブルの下の事件なんか気がつかないふりで、持っていた本を読みました。もちろん、本を読む余裕なんてあるはずがありません。
 彼がそのままテーブルの下で射精するのではないかとドキドキしていました。
 しばらくそうしていると、彼はそのまま立ち上がりました。さすがに気がつかないふりも限界です。彼のパンツは太ももに引っかかっています。ウエストがゴムなのでしょうか。でも、見た感じはジーンズに見えるのです。どうして太ももに固定されているのか、私には分かりませんでした。
 私は思わずキョロキョロとしてしまいました。彼はその私の様子を見て、助けを求めると思ったのでしょうか。シャツを下げると、パンツはそのままに店を出て行きました。一見すると長めのシャツを着た普通の人に見えます。
 驚きました。
 でも、私は助けを求めたかったのではありません。彼を心配して、彼の代わりに周囲をうかがったのです。もちろん、そんなこと彼には分かるはずないですよね。
 公園の奥のベンチに座ると、すぐに私は周囲に人の気配のないことを確認しました。遠くにマンションの明かりが見えますが、それ以外には明かりらしいものが見えません。すぐそばに幹線道路はありますが、盆地のような公園のために、その道路も見えません。もちろん、向こうからこちらが見えないことも確認しています。
 ここで痴漢に襲われたら、きっと私は逃げられない、そう思いならがらベンチで冷たい缶コーヒーを飲みます。驚くほど落ち着いています。缶コーヒーを少し口にしただけで、私はそれをベンチに置きました。
 そして、スカートをゆっくりと下げました。ウエストがゴムのロングスカートです。下には何もつけていません。ベンチの木の素材感がお尻から伝わってきます。少し冷たく、少し痛みのある不思議な感触です。
 その感触を楽しむように私はスカートを脱ぎました。ベンチにお尻をつけてしまえば、その後はかんたんでした。アソコを晒すまでは、かなり戸惑いがありましたが、アソコを晒してしまえば、もう、その後は戸惑いませんでした。それが当然のことのように、スカートを足から抜くことができました。
 シャツは私のお尻の半分を隠します。ヘアーは見えないかもしれませんが、超ミニと勘違いする人はいないはずです。
 鏡に写したときには、後ろからラビアまで見ることができました。少し動けば前からアソコを全て見ることだってできました。そして、ほんの少し屈むだけで、お尻の穴まで見えていました。
 私は、スカートを、持っていた空の小さな紙袋に入れると、迷わずに立ち上がりました。前の日から決めていた通りに、公園の遊歩道まで、そのままの格好で歩くつもりでした。深夜ですが、遊歩道には、人が通ることを知っています。もちろん、公園と遊歩道との間には植え込みがありますから、私の下半身は見えないはずです。でも、もし、そこを通る人が気まぐれに植え込みから公園に入ってくれば、私には、下半身の裸を隠しようがないのです。
 私が遊歩道に近づくと、そこに人影がありました。やはり遊歩道には歩く人がいたのだ、と思いました。そのまま、ベンチまでもどろうとも思いました。でも、私はその度に、これは命令で、もどったら私は見捨てられてしまうと思い込みました。そして、遊歩道に出ました。誰れもいる気配がありません。でも、通りから遊歩道に入ってくれば、下半身裸の私はすぐに見えてしまいます。遊歩道の見通しはいいのです。私は一度、植え込みにもどりました。そこにしゃがんでしまえば、たとえ遊歩道を誰れかが通っても、私を見つけることはできないはずです。
 じっとしていたのですが、人の気配はありません。震える膝をおさえながら、私は遊歩道に出ました。シャツをめくり、下半身をむき出しにして、そこを横切りました。ほんの数歩で向こうに着きます。気持ちはものすごくあせっているのですが、私はもどるとき、遊歩道の真ん中でしゃがみました。オシッコをするポーズです。そのまま、左右を見て、誰れも来ないのに安心して、公園にもどりました。
 走るようにしてベンチのところまでもどり、あわててスカートをはきました。
 一瞬で身体が冷たくなりました。緊張で汗ばんでいたのでしょう。その汗が冷えて、夏だというのに冷んやりとするのです。それでも置いてあった缶コーヒーを飲むと、少し落ち着きました。
 どうしてこんなことをせずにはいられないのでしょう。後悔と自己嫌悪のまま、家までもどりました。ところが、翌日、このブログを書いていると、もう、ドキドキしているのです。

 アップが遅れて、少し前の話しになってしまいました。


 雨の中も私の散歩はつづいています。雨なので、通りには人が少なく、どの公園に行っても誰れもいません。アスファルトのどこでオシッコしたとしても目立ちません。冬のように、湯気がたつ心配もありません。ミニの下は素足です。もし、下着をとれば、そのままオシッコをすることもできます。濡れてもいいように、あえて裸足で出ていますから、本当に歩きながらオシッコできてしまうのです。そんなはしたないことをした女はいないかもしれません。そう想像しただけで、ドキドキします。
 もちろん、雨の中で下着をとるのはたいへんなことです。トイレなどに入るしかありません。迷いました。トイレに入り、そこでパンツをとってしまえば、その後は何だってできるのです。スカートはデニムですから、腰の上にまくりあげて、下半身を晒したまま歩くこともできます。少し足を広げれば、男の人ように立ちションすることだってできるのです。
 この、少し雨に濡れはじめて、肌にまとわりつく邪魔なものをとりさえすれば、私は自由になれます。そんな空想のまま、いくつかの公園を見て回りました。当然ですが、どの公園にも人はいません。
 いっそ、このまま下半身裸になってしまおうかとも思いました。この雨の中です。すれ違う人がいたとしても私の下半身を見る余裕なんかあるはずがない、そう思いました。
 どれぐらいの時間を歩いたのでしょうか。私にはひとつの計画がありました。オシッコです。いくら夏でも、雨の中を歩いていれば、いずれはオシッコがガマンできなくなるのです。公園などを見てまわっているのですから、喫茶店などには入れません。もう、十分に身体も濡れているからです。それに、喫茶店などに入るにしてはスカートが短過ぎです。
 公園のトイレは使いません。そこでオシッコするのは別の恐怖があるのです。個室の前なら平気です。でも、個室に入るのは嫌なんです。いえ、私は公園のトイレの個室には入れない、と、勝手に決めているだけかもしれません。
 ちょうど、大きな駐車場の奥にある公園に来たとき、尿意も限界になりました。その公園にもトイレはあります。でも、私はそこは使わずに、駐車場のほうにもどりました。公園には私の身を隠すところがなかったからです。
 他人の駐車場に入るというのは、それだけでドキドキします。いつもなら、ただの近道のためだって横切るところなのに、そこに足を踏み入れているだけで、かなりいけないことをしているような、そんな気分になるのです。
 車の中に人がいないのを確認して、ワンボックスカーの後ろにしゃがみました。パンツをおろす勇気がなく、そのまましゃがみました。それでも、膝が震え、バランスを失い、傘を落としてしまいました。雨は思っていた以上に冷たいものでした。あわてて立ち上がり、そこでオシッコすることは諦めました。
 でも、もう尿意は本当に限界なのです。
 歩くのが困難になってきました。そのままお漏らしというのも考えましたが、それもできませんでした。オシッコしようと力を入れても、オシッコは出ないし、無理すると尿道が痛くなるのです。
 私は公園にもどりました。それでもトイレを使うつもりはありませんでした。
 公園と駐車場の間にあるフェンスにもたれました。パンツを膝までおろし、中腰になりました。背中をフェンスにつけていなければ、かなり膝に負担のかかる格好です。でも、その格好なら、オシッコは真下に落ち、前に出た膝にあるパンツを汚すことはないと思ったのです。
 オシッコはすぐに出ました。お尻は出ていませんが、駐車場側から見れば、私がオシッコしていることは分かってしまったと思います。音は大きくありませんでした。それでも、緊張は大きく、心の中で早く終わってと叫ばずにはいられませんでした。でも、オシッコは恥ずかしいぐらい、たくさん出ました。いつまでも終わらないのです。
 ティッシュは持っていましたが、拭いている余裕なんてありませんでした。片手でパンツを上げて、その場所から離れました。パンツは不自然に上げられたらしく、腰を不快に締めつけました。
 三度、後ろを見ました。誰れかがそこにいたかもしれないと思ったからです。
 部屋にもどり、お風呂に入っても興奮は静まりませんでした。性的興奮とは少し違うような気がしました。でも、もう一度、今度はもっと大胆に、と、そんなことを思いました。オナニーはしませんでした。

 パジャマ替わりの長いシャツの中が鏡に写りました。奥が影になっていてよく見えませんが、ノーパンなのは分かりました。思えば露出をしていた頃には、この大きな鏡を利用して、自分のアソコを毎日のように眺めたものです。少し前かがみになり、後ろからアソコを写し出してみました。
 まるみを帯びたお尻のラインが少し下がったような気がしました。ぷっくりとふくらんだ二つの白い山は、そのふくらみを失ったようには見えませんでした。そのふくらみのためでしょうか。もっとも恥ずかしい小さなつぼみは見えません。
 その代わりに、ふたつのふくらみの下、丘陵の裾に窮屈そうに押し込められた襞がはっきりと見えています。シャツをめくり、足を開いたのですが、その襞はやはり窮屈そうに身動きのとれなくなった軟体動物のようにそこでじっとしていました。
 その部分を女性自身という人があります。私はその部分がまさに今の私自身のように感じました。窮屈で身動きのとれない私自身です。
 優しく両手でその部分を広げて見ました。嫌らしい軟体動物が口を広げたように見えます。自分自身のものでありながら、なんとも嫌らしい形状です。もっと、嫌らしくないアソコだってあるのに、と、そんなことを考えながら、私は、その部分を男の人に覗かせることを妄想しました。
 外では何のゲームをしているのか少年たちの声がしています。下半身裸のまま窓を開けてそれを眺めることができます。シャツをつけていますから、外から見れば、天気でもうかがっているようにしか見えないことでしょう。
 でも、私には窓を開けることができませんでした。窓を開け、少年たちを眺めながらオナニーをしてしまったら、私は理性を保ことができないと思ったのです。自分が少年たちに「アソコを見てくれない」と、声をかけてしまうに違いないと思ったのです。
 そんなことを妄想しながら、窓のところでオナニーしてしまいました。しばらくオナニーに熱中する間に、少年たちの声はなくなりました。ときどき「間違えた」とか「ごめん」という声が聞こえ、そして、金属で何かを打つような音が鳴っていたのですが、彼らがそこで何をしていたのかは分からないままになりました。
 オナニーに満足したのか、もう一度鏡にその部分を写すと、私のその部分はぐったりしているように見えました。窮屈に縮まっているよりはいいかもしれません。
 深夜でも開いているハンバーガ屋さん。このお店で、私は下半身裸になったことがあります。そして、アソコを見せたこともあるのです。その日もミニスカートでした。ミニといっても膝がしっかりと出るぐらいのミニです。それでも、深いそのお店の椅子に座ればスカートの奥は見えてしまいます。スカートの中はノーパンではありません。それでも緊張します。
 周囲をゆっくりと見ます。奥の席で学生ふうの男の子が携帯メールをしています。しばらく露出をしていなかったので、慣れていないせいでしょう、私の前は女の子でした。彼女は求人雑誌を見つめていました。足を広げれば、その女の子には私のスカートの奥が見えてしまうかもしれません。でも、それは恥ずかしいだけで少しも嬉しくありません。そうした席に座らないのが露出をするコツでした。
 別に女の子に見せるのが嫌なわけではありません。変態と思われるのは好きなのです。でも、変態と思われずに「だらしのない女」と思われるのは嫌なんです。
 奥の男の子の席はトイレのそばです。もし、トイレからうっかりスカートを下げ忘れて出て来たら、男の子にしか見えないところで私があわててスカートをおろしたら、もし、そのときノーパンだったら……。スカートをおろすのを忘れる人などいるはずがありません。でも、うっかりそんなことをしてしまったかもしれないと彼は思うかもしれません。
 そんな妄想をしていたら、心臓がドキドキとしてきました。緊張で息苦しくなるのです。嫌な感覚ではありません。
 突然、私は大学入試のことを思い出しました。大勢の人な中、私は孤独で、不安でした。そこには大勢人がいるのに、まるで私は暗闇の中にまぎれこんでしまったような気がして、テストどころか、そこに留まることさえ無理だと感じていました。そのとき、私の肩をたたく人がいたのです。同じ高校の女の子でした。
「そうだ、この子と待ち合わせしていたんだ」と、私は思い出しました。別に隣に座ってテストに挑めるわけではありません。でも、そこにたった一人でも知り合いがいると分かった私は孤独ではなくなりました。知り合いがいるということだけで、私はものすごく安心したのです。
 あの、入試会場で肩を叩かれた、その感覚に似た感覚が、露出を考えた瞬間の私に芽生えたのです。
 でも、露出はしませんでした。トイレにさえ行きませんでした。ただ、今度はノーパンで来てみよう、そう決めました。いつ来ることになるかは分からないのですが。
 近所の公園に行きました。同じところで二度露出するのは止めようと思っていた私が、何度となく露出してしまった公園です。全裸の男の子と出会ったのも、その公園でした。駅に近く、冬でも酔ってベンチに寝ている人がいるような公園です。
 ところが、久しぶりに訪れると、深夜二時を過ぎていたからでしょうか。公園には誰れもいませんでした。植え込みに囲まれた公園は街から切り離され隔離された場所のように感じさせてくれます。そこだけが別の空間に思えたので、私は大胆になれたのかもしれません。その植え込みの中にトイレがあります。植え込みの中だけに、そこのトイレは他の公園のトイレよりは中が見え難くなっているのです。
 公園のベンチからトイレの明かりだけが見えます。そこもまた異空間のようです。しばらく私はベンチに座っていました。あの頃はすぐに脱げてすぐに着けることのできるスウェットパンツでしたが、今はジーンズです。でも、ジーンズなら、一度、脱いでしまったら、もし誰れかが来たと分かってもすぐに着けることができないから、たいへんなことになるのにと想像したりしました。そんなことを想像するのは、あの頃の私と同じ私です。
 最近は毎日のように散歩に出ます。以前のように深夜とはかぎりません。昼間も時間があれば散歩します。散歩の目的は、以前に私が露出した場所を見てまわることです。そんなことに、どんな意味があるのかは、私には分かりません。でも、なんだか、古い日記を読み返すような、そんな気持ちになれるのです。この感覚は、私が実家にもどって、子供の頃に露出した場所を見てまわるのに似ています。でも、露出していたのは、ほんの一年前のことです。こんな短い時間のことを、そんなにも懐かしく感じたりするものなのでしょうか。
 全裸の男の子が立ったところに自分が立ってみました。私も全裸だったら、二人はとても奇妙に見えたのに、と思いました。彼がここから、全裸の私を見たら、きっと、おっぱいもヘアーも見えたんだ、と、そんなことを思いました。そして、私は彼のことを思い出そうとしました。ところが不思議なことに私には彼の顔もオチンチンの大きさも思い出せないのです。ぼんやりと暗闇に浮かんだ白い肌のことしか思い出せませんでした。
 露出した人の記憶なんて、そんな程度なんだと思うと、少し安心しました。もし、ここにあの頃、露出していた私を見かけた人が来ても、その人には、私のことなんて分からないんだ、と思ったのです。
 何もしないで家にもどりました。暑い夜でしたから、身体は汗ばんでいました。シャワーを浴びて、私は自分のアソコが汗ではないもので濡れているのに気づきました。

 銭湯は今の私が安心して全裸になることができる自分の部屋以外の数少ない場所です。いろいろな妄想をしながら私は遠くの銭湯に行きました。車の助手席には大きな紙袋、中にはお風呂道具が入っています。わざわざ、車で普通の銭湯に行く人がどれだけいるものでしょうか。
 近所の銭湯だって、私にとっては知らない銭湯です。そこに知り合いなどいるはずのない銭湯です。それなのに、わざわざ遠くまで来ると、より知らない銭湯に思えてきます。不思議な感覚です。その町に住んで銭湯に来ている人が「どうしてこんな見かけない女が銭湯にいるの」と、そんなことを思って私を見るのではないか、と感じてしまうのです。わざわざ遠くまで来るということは、変態に違いないと思われているような錯覚もあります。
 そんな不安を抱きながら銭湯に入りました。いつもの銭湯と同じように、あまり人はいませんでした。夜の十時ぐらいでした。おばあさんと、太った女の人が二人、そして男の子がいました。
 私はかるく身体を流して三つある湯舟の端に入りました。すると洗い場をウロウロしていた男の子がやって来ました。身長はすでに私より少し低い程度でした。もしかしたら小学校の高学年では、と思ったのですが、子供を持ったことのない私には、子供の年齢のことはよく分かりませんでした。
 オチンチンは小さく、そして、先がすこしねじれているように見えました。大人のオチンチンを見慣れている私には、小さなものでした。
 彼は、私がつかる湯舟に足を入れ、つかることはせずに、私のほうを向いて立っています。まるで私にオチンチンを見せつけているかのようです。オチンチンはちょうど私の目の前なのです。そのまま彼は、オチンチンの上のおへその下あたりに手を添え、オチンチンを上下に揺らしたのです。私の小指ぐらいのオチンチンは彼が手を離しても、しばらく上下に揺れました。彼がそれを無意識にやっているのか、私に見せつけているのかは分かりませんでした。
 ただ、そうしていると、小さなオチンチンは小さいなりに大きくなって行くのです。驚きました。私の小指程度のものが、しっかりと上を向いて起立したのです。オチンチンが立つという意味がそのとき始めて分かったような気がしました。
 でも、彼はそれ以上に何かをしようとすることもせず、そうした行為に飽きたのか、今度は水道の蛇口を悪戯し始めました。起立したオチンチンはすぐに元の大きさにもどりました。
 不思議な光景でした。

 プチ痴漢体験だったような気もします。
 番台が外で、掃除のおじさんもいませんでしたから、私が妄想していたようなことは何もありませんでした。それでも、やっぱり銭湯ってエッチなところなんだって思いました。男の人もやっぱり銭湯に入って来る女の子のアソコに興味もったりするものなのでしょうか。それとも、男とか女にかかわらず、私ぐらいなのでしょうか、そんな光景に興味を持ってしまうのは。

 どんよりとした曇り空の下、私は散歩に出ました。日焼けを気にしなくていいのは、いいことなのですが、こんな天気の日に散歩なんかしても、素敵な景色のあるはずがありません。
 それでもいいのです。私のは妄想の痕跡を辿るための散歩だからです。でも、ただの妄想ではありません。確かにそこにあった妄想なのです。
 河原には朝から野球のために集まる男の人たちがありました。同じ数だけ女の人たちもいます。たぶん応援のために集まっているのでしょう。彼女たちの格好はグラウンドには似合わないものでした。むしろ形だけでもスポーティな私の格好のほうが河原の朝には似合っています。
 応援するチームもない私はグラウンドを横目に、川岸まで出ることのできる公園まで足を伸ばしました。
 私の膝ぐらいのブロックの囲みがあり、中には草が生えています。この花壇の花がいつの季節に咲くものか私は知りません。花壇の奥には石のベンチがあります。花壇のブロックとそのベンチの間が公園の中の死角になっています。かくれんぼする子供だって、そんなところには身を隠さないと思うほど小さなスペースです。そこに私は全裸で身を隠したことがあります。一年近く前の深夜でした。今はそんな勇気はありません。
 周囲の目を盗むようにして私はそこにしゃがんでみました。服を着たままなのに、緊張で膝が震えました。そんなところにしゃがむ自分が周囲から異常に見えないかと気になるのです。
 こんなところに全裸で身を隠して、私はどうして平気だったのでしょう。そこから服を置いた公園の入り口の植え込みを見つめました。遊具の何もない公園には身を隠すところもありません。あそこから、ここまで来て、また、あそこまでもどったんだ、と、思いました。そんなことがどうしてできたのか、不思議で仕方ありません。
 この場所で深夜のデートを楽しむカップルに露出したこともあります。幸福な女と、変態である不幸な自分を対比したかったんです。世の中には、まともな恋愛もできずに、こんな不幸な女もいるのだ、と叫びたかったのです。思い出せば惨めな気持ちでいっぱいになります。でも、その惨めさが私を興奮させてしまうのは、今も昔も変わりませんでした。
 少し陽がさして来たので、さらに私がオシッコをした場所、オシッコを男の人に見せた場所、オシッコをかけた公園まで行くのは止め、あわてて帰りました。オナニーはしませんでした。ただ、あの頃した露出のことを思い出して、本を読むことさえできず、一日をボーとしたままつぶしてしまいました。
 目の前のロッカーに洗面用具を置いて、小さなタオルで身体を拭こうとしたとき、庭に彼を発見しました。さり気なく番台を見るとおばさんの姿はありません。もうこの時間から入って来る人はいないからなのでしょう。
 身体を拭いてから、私は庭に人がいることなど気がつかないふりで、縁側に出ました。手には小さなタオルを一つ持っただけです。そのタオルで身体なんか隠したら逆に自分のエッチな部分を強調することになりそうな、そんなタオルです。
 もうすでに、ほとんど濡れてもいない身体を執拗に拭きながら「あっ」と、私は小さな声を上げました。そこに人がいたことにようやく気づいたというふりです。彼は私の声に振り向きました。隠されているのは胸だけです。少しふくれてきた下腹部、その下の決して多くないヘアー、そして、普通に立っていても見えてしまう私の恥ずかしいラビア、そのすべては晒されたままです。
「お久しぶりですねえ。しばらく見ないから引っ越されたのかと思いましたよ」
「田舎にもどらなければならない事情があって」
 太ももに汗が伝いました。外気に冷やされた汗の冷たさに、一瞬、私はアソコがぐっしょりと濡れてしまって垂れて来たのではと思いました。彼は池の様子を見るためか、しゃがんでいましたから、彼の頭は私の腰より低い位置にあるのです。手が震えそうになるのを必死でおさえながら私は意味もなく首のあたりを拭きました。さすがに下半身を拭く勇気はありませんでした。
「あの店、閉めたの知ってますか」
 あの店とは、私と彼と彼の恋人が出会う飲み屋さんのことです。私は自分の裸を見たことのある彼が、そこに恋人といる姿を見ることに、ものすごいエロティシズムを感じていました。
「ええ、ショック」
「いいお店でしたよね。私も好きだったので残念です」
 実は私はそのお店がなくなったことは知っていました。お店の前を通っていたからです。でも、そんなことはどうでもよかったのです。私はお店がなくなったショックで油断した様子を見せたかっただけなのですから。
私は彼に背を向け、そして、太ももを拭きました。少し汗ばんでいますが、もう濡れてはいません。膝が震えて来るのが分かりました。太ももから膝にタオルを移動させると、彼にはお尻を、いえ、アソコを突き出すような格好になります。
 そのとき、私の正面の遠い鏡の端に彼が小さくですが写っていることに気がつきました。彼は下から私のアソコを覗き込むような仕種をしていました。太ももの内側を拭きたいようなふりをしながら私は足を少し広げました。彼が私のアソコが見えやすい位置に移動したように見えました。鏡の端に少し写るだけですから、全ては私の勘違いかもしれませんが、それでも私を興奮させるには十分でした。
「今日は、涼しいですよね」
 前屈の姿勢を直し、振り向いてそう言いました。彼は池のほうを見ていました。
「ええ、寒くてもお客さんは来ませんが、夏が涼しくてもウチは厳しいですね。過ごしやすいのはいいんですけど」
 私はクスクスと笑いながら、脱衣場にもどりました。別におかしくなんかありませんでした。ただ、そうしなければ、他には、私はオナニーして果てないかぎり、その場から動く方法を失ってしまいそうな気がしたのです。
 家にもどると、オナニーしました。少しで止めました。でも、オナニーし、露出を妄想したことは私にとっての大きな変化でした。
 ゆっくりと時間がもどって行きます。ただ、露出する勇気はもどりません。
 露出したいという気持ちは強くなります。私は子供の頃、あまり親に相手にしてもらっていなかったと思うのです。今は、その事情が理解できるし、それは仕方なかったことだと思うのですが、子供の私には分かりようのない事情でした。
 そんな幼児体験のためでしょうか。私は今でも、あまり他人と交流するのが上手くありません。ただ、こうした自分を長くやっているわけですから、それを他人に指摘されることはめったにありません。
 普通に話し、普通に笑っています。明るくて楽しい女の子だと言われることもありませんが、暗いと言われることもありません。ただ、楽しそうな私も、大きな声で笑う私も、嘘の私です。本当の私は他人といっしょにいるときに、どう楽しめばいいのかが分かりません。
 他の人のように他人を楽しませることができないのです。ですから、自分も楽しむことができません。他人といっしょにいる間、私は「私なんかといっしょにいて、つまらなく思っているのではないか」と、そんな不安でいっぱいになっています。
 それは、かなり幼い頃からそうでした。
 そんな私が男の子たちの、あるときには女の子たちの注目を浴びることができたのが露出でした。私のアソコやお尻を見つめる他人の目には退屈なんてないように私は感じました。こんな私でも、他人をよろこばせることのできる方法があったのかと思うと嬉しかったのです。
 でも、それはセックスではだめなんです。セックスだと、また、私は「こんな私なんかとセックスしても、つまらないのに」と、考えてしまうからなんです。自分がものすごくネガティブなのはよく分かっています。でも、どうにもできないのです。
 見られたい、注目されたい、楽しませたい、それが私の露出の理由だと思います。ですから、私はそれを止めることができないのです。露出をしない私なんかには、何の価値もないように感じてしまうからです。今は落ち着きません。露出して、ブログをたくさん書いていた頃は落ち着いていました。
 あの生活を早くとりもどしたいです。