近所の公園に行きました。同じところで二度露出するのは止めようと思っていた私が、何度となく露出してしまった公園です。全裸の男の子と出会ったのも、その公園でした。駅に近く、冬でも酔ってベンチに寝ている人がいるような公園です。
 ところが、久しぶりに訪れると、深夜二時を過ぎていたからでしょうか。公園には誰れもいませんでした。植え込みに囲まれた公園は街から切り離され隔離された場所のように感じさせてくれます。そこだけが別の空間に思えたので、私は大胆になれたのかもしれません。その植え込みの中にトイレがあります。植え込みの中だけに、そこのトイレは他の公園のトイレよりは中が見え難くなっているのです。
 公園のベンチからトイレの明かりだけが見えます。そこもまた異空間のようです。しばらく私はベンチに座っていました。あの頃はすぐに脱げてすぐに着けることのできるスウェットパンツでしたが、今はジーンズです。でも、ジーンズなら、一度、脱いでしまったら、もし誰れかが来たと分かってもすぐに着けることができないから、たいへんなことになるのにと想像したりしました。そんなことを想像するのは、あの頃の私と同じ私です。
 最近は毎日のように散歩に出ます。以前のように深夜とはかぎりません。昼間も時間があれば散歩します。散歩の目的は、以前に私が露出した場所を見てまわることです。そんなことに、どんな意味があるのかは、私には分かりません。でも、なんだか、古い日記を読み返すような、そんな気持ちになれるのです。この感覚は、私が実家にもどって、子供の頃に露出した場所を見てまわるのに似ています。でも、露出していたのは、ほんの一年前のことです。こんな短い時間のことを、そんなにも懐かしく感じたりするものなのでしょうか。
 全裸の男の子が立ったところに自分が立ってみました。私も全裸だったら、二人はとても奇妙に見えたのに、と思いました。彼がここから、全裸の私を見たら、きっと、おっぱいもヘアーも見えたんだ、と、そんなことを思いました。そして、私は彼のことを思い出そうとしました。ところが不思議なことに私には彼の顔もオチンチンの大きさも思い出せないのです。ぼんやりと暗闇に浮かんだ白い肌のことしか思い出せませんでした。
 露出した人の記憶なんて、そんな程度なんだと思うと、少し安心しました。もし、ここにあの頃、露出していた私を見かけた人が来ても、その人には、私のことなんて分からないんだ、と思ったのです。
 何もしないで家にもどりました。暑い夜でしたから、身体は汗ばんでいました。シャワーを浴びて、私は自分のアソコが汗ではないもので濡れているのに気づきました。