どんよりとした曇り空の下、私は散歩に出ました。日焼けを気にしなくていいのは、いいことなのですが、こんな天気の日に散歩なんかしても、素敵な景色のあるはずがありません。
 それでもいいのです。私のは妄想の痕跡を辿るための散歩だからです。でも、ただの妄想ではありません。確かにそこにあった妄想なのです。
 河原には朝から野球のために集まる男の人たちがありました。同じ数だけ女の人たちもいます。たぶん応援のために集まっているのでしょう。彼女たちの格好はグラウンドには似合わないものでした。むしろ形だけでもスポーティな私の格好のほうが河原の朝には似合っています。
 応援するチームもない私はグラウンドを横目に、川岸まで出ることのできる公園まで足を伸ばしました。
 私の膝ぐらいのブロックの囲みがあり、中には草が生えています。この花壇の花がいつの季節に咲くものか私は知りません。花壇の奥には石のベンチがあります。花壇のブロックとそのベンチの間が公園の中の死角になっています。かくれんぼする子供だって、そんなところには身を隠さないと思うほど小さなスペースです。そこに私は全裸で身を隠したことがあります。一年近く前の深夜でした。今はそんな勇気はありません。
 周囲の目を盗むようにして私はそこにしゃがんでみました。服を着たままなのに、緊張で膝が震えました。そんなところにしゃがむ自分が周囲から異常に見えないかと気になるのです。
 こんなところに全裸で身を隠して、私はどうして平気だったのでしょう。そこから服を置いた公園の入り口の植え込みを見つめました。遊具の何もない公園には身を隠すところもありません。あそこから、ここまで来て、また、あそこまでもどったんだ、と、思いました。そんなことがどうしてできたのか、不思議で仕方ありません。
 この場所で深夜のデートを楽しむカップルに露出したこともあります。幸福な女と、変態である不幸な自分を対比したかったんです。世の中には、まともな恋愛もできずに、こんな不幸な女もいるのだ、と叫びたかったのです。思い出せば惨めな気持ちでいっぱいになります。でも、その惨めさが私を興奮させてしまうのは、今も昔も変わりませんでした。
 少し陽がさして来たので、さらに私がオシッコをした場所、オシッコを男の人に見せた場所、オシッコをかけた公園まで行くのは止め、あわてて帰りました。オナニーはしませんでした。ただ、あの頃した露出のことを思い出して、本を読むことさえできず、一日をボーとしたままつぶしてしまいました。