パジャマ替わりの長いシャツの中が鏡に写りました。奥が影になっていてよく見えませんが、ノーパンなのは分かりました。思えば露出をしていた頃には、この大きな鏡を利用して、自分のアソコを毎日のように眺めたものです。少し前かがみになり、後ろからアソコを写し出してみました。
 まるみを帯びたお尻のラインが少し下がったような気がしました。ぷっくりとふくらんだ二つの白い山は、そのふくらみを失ったようには見えませんでした。そのふくらみのためでしょうか。もっとも恥ずかしい小さなつぼみは見えません。
 その代わりに、ふたつのふくらみの下、丘陵の裾に窮屈そうに押し込められた襞がはっきりと見えています。シャツをめくり、足を開いたのですが、その襞はやはり窮屈そうに身動きのとれなくなった軟体動物のようにそこでじっとしていました。
 その部分を女性自身という人があります。私はその部分がまさに今の私自身のように感じました。窮屈で身動きのとれない私自身です。
 優しく両手でその部分を広げて見ました。嫌らしい軟体動物が口を広げたように見えます。自分自身のものでありながら、なんとも嫌らしい形状です。もっと、嫌らしくないアソコだってあるのに、と、そんなことを考えながら、私は、その部分を男の人に覗かせることを妄想しました。
 外では何のゲームをしているのか少年たちの声がしています。下半身裸のまま窓を開けてそれを眺めることができます。シャツをつけていますから、外から見れば、天気でもうかがっているようにしか見えないことでしょう。
 でも、私には窓を開けることができませんでした。窓を開け、少年たちを眺めながらオナニーをしてしまったら、私は理性を保ことができないと思ったのです。自分が少年たちに「アソコを見てくれない」と、声をかけてしまうに違いないと思ったのです。
 そんなことを妄想しながら、窓のところでオナニーしてしまいました。しばらくオナニーに熱中する間に、少年たちの声はなくなりました。ときどき「間違えた」とか「ごめん」という声が聞こえ、そして、金属で何かを打つような音が鳴っていたのですが、彼らがそこで何をしていたのかは分からないままになりました。
 オナニーに満足したのか、もう一度鏡にその部分を写すと、私のその部分はぐったりしているように見えました。窮屈に縮まっているよりはいいかもしれません。