露出をしたいという欲求がなくなったわけではありません。いえ、その欲求は以前より強くなっているかもしれないのです。そして、何かを書きたいという欲求も強くあります。ブログを書くようになってから、私は書くことが楽しくて仕方なくなっていました。腱鞘炎になるほどブログやメールをたくさん書きました。最近はメールさえ、あまり書いていません。ですから、書きたい気持ちは以前より強くなっているのです。
ところが、何かを書こうとすると書けないのです。何を書いていいのか、どう書いていいのか分からなくなってしまうのです。
露出も、ものすごくしたいのです。露出がしたくて、私は以前に自分がいろいろなことをした場所を歩いているのだと思います。でも、怖いのです。いえ、こんなところで本当にそんなことができたのだろうか、と思ってしまうのです。それは、以前に私が全裸になったり、オシッコした場所に、新しい街灯ができたりしたためではないのです。明るさはたぶん同じなんです。それが今の私には昼間のように明るく感じてしまうだけなのです。
最近、以前に自分が書いたものを読み返しています。読んでいると他人がそれを書いたかのように感じます。性格も違います。少し自分を隠すために設定を変えてありますから、ますます他人のように感じてしまいます。もしかしたら私は多重人格で、これを書いたのも、ここに書いたことをやったのも別の自分かもしれない、そんなことも妄想します。でも、何でもすぐに妄想してしまうのは、やっぱり、私以外の何ものでもありません。多重人格は別の人格のやったことの記憶がなくなるといいますから、やはり私の露出は私自身のものでしょう。そもそも、露出ができない、ブログが書けないというのは、そう悪いことではないんですよね。そんなことをせずに、オナニーさえせずに生活するのは普通のことなんですよね。でも、私は私をとりもどそうとして露出をしようとしているようなところがあるのです。
今が普通の人なのに、露出していない自分は自分ではないように感じてしまうからです。思えばオナニーをしたのさえ、はるか昔のことのようです。
ところが、何かを書こうとすると書けないのです。何を書いていいのか、どう書いていいのか分からなくなってしまうのです。
露出も、ものすごくしたいのです。露出がしたくて、私は以前に自分がいろいろなことをした場所を歩いているのだと思います。でも、怖いのです。いえ、こんなところで本当にそんなことができたのだろうか、と思ってしまうのです。それは、以前に私が全裸になったり、オシッコした場所に、新しい街灯ができたりしたためではないのです。明るさはたぶん同じなんです。それが今の私には昼間のように明るく感じてしまうだけなのです。
最近、以前に自分が書いたものを読み返しています。読んでいると他人がそれを書いたかのように感じます。性格も違います。少し自分を隠すために設定を変えてありますから、ますます他人のように感じてしまいます。もしかしたら私は多重人格で、これを書いたのも、ここに書いたことをやったのも別の自分かもしれない、そんなことも妄想します。でも、何でもすぐに妄想してしまうのは、やっぱり、私以外の何ものでもありません。多重人格は別の人格のやったことの記憶がなくなるといいますから、やはり私の露出は私自身のものでしょう。そもそも、露出ができない、ブログが書けないというのは、そう悪いことではないんですよね。そんなことをせずに、オナニーさえせずに生活するのは普通のことなんですよね。でも、私は私をとりもどそうとして露出をしようとしているようなところがあるのです。
今が普通の人なのに、露出していない自分は自分ではないように感じてしまうからです。思えばオナニーをしたのさえ、はるか昔のことのようです。