「お前が一番賢かった」それが祖父の口癖です。おそらく誰れにでも言うのでしょう。私が子どもの頃には厳しい人でした。教育関係の仕事をしていたからだったのでしょうか、孫にまで厳しかったのです。私は「孫に甘い」祖父母というものを知りません。
 ところが、一年近く前、祖父は自宅で倒れたのにもかかわらず、医者に行こうとせず、すいぶんと痛みに耐えたあげくに、病状を悪化させ、ほとんど動けなくなりました。最近はかなり回復しています。散歩ぐらいは一人でできるようになりました。
 最初の頃は看護されていたのですが、しかし、意識のはっきりしている祖父は、他人の看護を歓迎していませんでした。
 そのため家族が交代でめんどうを見て、足りないところを介護師の方が補うことになりました。
 孫では、私と、私とより三つ上の従姉妹と、別の孫のお嫁さんが交代でめんどうみることになりました。祖母が他界してからも祖父は家を出ることをせず、また、誰れも家に入れることをしませんでした。
 最初は長いことにならにと皆が思っていました。
 ところが祖父の介護は長引きました。その上、介護疲労の問題も出てきました。私は、最初の内こそ戸惑いましたし、今も、身体は辛いのですが、精神的には慣れてきました。
 幸い、祖父は杖を使えば歩行ができ、トイレには行けるようになりましたから、そこは楽になりました。また、祖母も長く患いましたから、家がバリアフリーに改築されていたので、それも楽でした。それでも、最初の半年は何もできない、何も考えられませんでした。しかし、最近は少し余裕があります。
 そこで、私は祖父を相手に露出を楽しむようになりました。あの、厳格な祖父だと思うと、私の興奮はより大きくなりました。そして、私は祖父を相手に露出しながら、どうして自分が露出に目覚めていったのかを知るようになってきました。
 こんな露出の話しは、あまり面白くないと思います。その上、慣れてきたとはいえ、まだまだたいへんで、アップもマチマチになると思います。それでも、これから、数回に分けて、私と祖父の話しを書いてみます。